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清水 岳

Biography
1984年、17時ごろ、大阪市西区、九条の病院で産声をあげる。
生まれる際、暴れすぎて母親を出血多量で死のふちに追いやる。
年のいった両親、8歳上の姉に大事に育てられる。

4歳、アソカ幼稚園に入園。幼馴染とファーストキス。
給食のさくらご飯とブロッコリーが食べれず、
いつも仲の良かった友達に食べてもらっていた。
そんな他人任せの幼稚園児。
この頃はみんなより少し足が速かった。
卒園式の時、先生との別れが悲しくて泣く。
が、友達や母親にはカッコ悪いと思い、その涙を腹痛のせいにした。

6歳、築港小学校に入学。
その年の10月、友達に誘われ小年野球のチームに入団。
喉がカラカラなのにいつになっても水を飲ましてくれず、
ミスをすれば殴られる、厳しい世界へ。
毎週土日、祝日も常に練習だったので、
休日家族とどこかへ行くということがなくなり親との交流が少なくなる。
辞めたかったが、逃げれず、結局小6まで続けた。
小2の頃、スイミングスクールへも通いだす。
野球とは違い、褒められ、もてはやされる世界へ。
が、友達が来なくなり、しばらくは頑張ったが、孤独に負け、辞める。
高学年、成績はオールよくできました、運動もよくできた。
が、友達よりもなによりもファミコンを愛し、ひねくれていた。

12歳、築港中学校に入学。
野球部へ。少年野球よりもやさしく、初めて野球の楽しさを知る。
中2の時は先輩達のいる中セカンドを。中3の時はショートを守る。たまにサードも守った。
打順は一番か二番。一度オール3学区のショートも守った。
中3の時、塾の、毎日通わないといけない特進クラスに入る事を決意、
が、それに行くと、野球部へなかなかいけなくなるので、顧問に相談。
最悪退部も考えていたはずだった。
が、実際辞めると話しをし始めた時、なぜだか涙が止まらなくなった。
辞めると決意したその時、初めて気づいた。野球を愛していたことに。
そして顧問の説得もあり、
頑張って毎日ギリギリの時間までクラブへいき、
全速力で二駅先の塾まで行く事を決意。無理やり両立させた。
人生で、一番頑張ってた時期ともいえる。ファミコンも卒業。
成績は中3の時、1度だけ総合TOPを飾る。が、性格は、よりひねくれていく。

15歳、厳しい塾のおかげで、まさか入れるとは思わなかった今宮高校に入学。
バレーのワールドカップを見て、初めて、観るスポーツに感動を受け、
野球より、そういう動き回るスポーツに興味を持つ。
背がなかったのと、野球の能力をできるだけが生かせるとおもい、テニスを選ぶ。
高1の時、初恋と初失恋を経験。病むことを覚える。
その後、高校の友達達との触れ合いにより、徐々に素直になっていく。
今までは成績優秀だったが、遊ぶことを覚え、
高1の時からどんどん落ちていき、高3の時は常に総合学年ベベ3をキープ、
学年で一番留年が危うい人物となった。
高1は恋、高2はクラブ、高3は友達と遊ぶ事に集中した3年間だった。

なんとか卒業し、後先考えず、友達とママチャリで沖縄への旅に出る。
このとき初めてデジカメをもつ。

帰ってきてから浪人を決意、が、旅の余韻が一年消えず、
意味のない、何もしない、廃人のような、ひきこもり浪人生活を過ごし、
結局誰でも入れるIBU仏教学科に入学。

1回、2回は、恋に走り、テニスもする時間が一切なかった。
2回の途中には恋も落ち着いてき、安定してきたので、再びテニスを始めることを決意。
一人で練習しつづけた後、スクールのバイトをすることに。
研修でやたら忙しくなる。
が、自分のことでいっぱいいっぱいで、
自分は頑張っているから大丈夫と安心しすぎていた。
安定に、永遠を信じた恋は、気づくと去っていた。アートに目覚める。
3回、テニス部に入部。
3回からの途中入部で気まずかったが、
徐々にみんなと馴染んでいき、夏にはみんなと心を開きあえる仲間に。
2月、プランニングforの内定をもらう。

3月、北のプランニングForで修行、干物にされる。
9月、南のプランニングForに完全帰還。



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