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自伝1


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小学校1年から少年野球団に入り、
監督に殴られ蹴られの
地獄絵図のような練習を受け続け、
それでも中学に入ってからは野球部に入った。

中学三年間荒れる部員達の中で
真面目に練習し続けた。

ただ、好きとかじゃなく、
それはむしろ仕事のように。

子供からずっと続けていたことで
日常生活の一部になり、
辞めるという考えはでてこなかった。


それでもついに、
高校からは野球との別離を決意。
それを顧問に告げにいった時、
気づくとなぜか涙していた。

嫌々やっていたと思っていた野球、
小1からずっとしてきた野球、
その野球が僕の全てで、
実は大好きだったんだと、
その時初めて頭ではなく、
心で理解した。

だけど、さよなら。

野球からテニスへの転向、
高校1年から3年の4月までの二年間は、
テニスに打ち込んだ。

ただ、ちゃんとしたコーチは誰もいず、
上手い人もいなかったので
全て 独学だった。

2年間、
上手くはなれなかったけど、
それでも楽しかった。

しかし引退後は、
俺には才能がないんだと、
テニスから逃げ出した。

浪人を経て、
大学に入り、さらに一年が経った。
自分がテニスをしていたことすら
忘れていたぐらい、
テニスからは遠ざかっていた。

家に帰るのは 週に2、3度ぐらい、
寝るためだけ。

毎晩ちゃらちゃら遊びまわった。
何も残らない、身にもならない、
ただダラダラと遊んで笑い、
運動不足をJJなどの施設で補った、
くだらない日々。

そんな日々も思い出はプライスレス。

しかしある日、意外な場所で 、
テニスと再会することになった。

そう、
ラウンド1のスポッチャ。

そこで見つけたテニスラケットを 握った瞬間、

走馬灯のように高校時代打ち込んだ
自分の姿が駆け巡り、
今まで才能がないからと
心の奥底に封印してきた
テニスへの気持ちが蘇った。

大学2回の夏だった。

今からなら頑張れば何とかなると思い、
テニス部への入部を決意。
しかし、テニス部からは、
リーグが忙しいから
11月まで待ってくれとの通達が。

一人、地元のテニスコートの
壁打ち場で、
薄暗い街灯1本だけの真っ暗な中、
テニス雑誌片手に毎晩
深夜12時を超えるまで練習。

練習。

練習。

そして11月。

テニス部から連絡が。

文化祭で忙しいから12月まで待ってくれと。

このままでは時間がもったいないと思い、
誰か練習相手を探した。
インターネットで調べていた時、
「テニススクール」という存在を、
その時初めて知る。

体験レッスンというものに、
勇気を振り絞って申し込みしてみた。

そこに行って初めて知った、
テニスのコーチという仕事。

その仕事に憧れ、それが夢になった。

友達には絶対になれないと
ののしられたりしたが、
それから
テニスのコーチを目指すため、
また一人、地元のテニスコートの
壁打ち場で、
薄暗い街灯1本だけの真っ暗な中、
テニス雑誌片手に毎晩
深夜12時を超えるまで練習。

練習。

練習。

テニス部からは12月になっても
返事がないまま。

ある日、
アルバイトコーチの求人を見つけた。

今はまだ無理だと逃げても何も起きない、
次の日の朝に電話した。

受かるとは思ってなかったが、
一応受かったみたいだった。

しかし、
週4で給料はゼロ、
交通費ばかりが削られ、
コーチ室での扱いの悪さと、
自分の実力のなさに打ちひしがれ、
何度も更衣室で一人ふさぎ込んだ。

だけども諦めずに頑張り続け、
長い研修が終わり、
テニス部にも入部。


月日は流れ、







大学3回生の冬、2月10日。






頑張り続けたかいあって、







ついに社員コーチの、







内定をもらうことができた。












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